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早々と免許は取得したが、その後15年間をペーパードライバーで過ごしてしまった30。
一念発起してペーパードライバー教習に通った。
なにせ、360mの直線コースを備え“横浜市内で最も簡単に免許のとれる教習所”
として名高い○○自動車学校で、やさしいと評判の教官につき、
実地免除で、試験場では筆記のみで免許を手に入れてしまった30である。
その運転技術は、というより、その運転センスは
「なんで免許持ってんの!?」
と、冷や汗をかいてしまうほどのものだった…。
10時間のペーパー教習を終え、なお自信のない30に、担当のT橋教官は磊落に言い放ってくれた。
「だいじょうぶ!あなた免許持ってるんだから、自信持って!!」
この言葉を胸に、初めて30が手に入れたマイカー。
それがSUZUKIの軽自動車、「セルボ モード」だった。(「アルト」とは違う!)

セルボという車は、30の弟が就職直後、先輩から中古車を1万円で買い受け、乗って帰省してきた車である。
弟は翌年には2万円の同中古車に買い替え、
さらにその翌年にはエアコン・カーステ・パワステ付きのものに買い換えてきた。
さすがにそれは、値段が前車の倍の4万円もしたと、弟は豪語していた。
秋も深まったころ、静岡県天竜市からやって来た中古のSUZUKIセルボ・30号は、
親戚のツテで借りた実家の近所の月極P(未舗装、露天)2万円に収まることになった。
自分の部屋のような小さな空間がたまらなくいとおしくて、最初はよく洗車をした。

セルボは実に小さな車で、要するに“初心者”の30にはたいそう扱いやすい車だった。
また、形が良かった。うしろをガバッ!と開けてドサッ!と荷物が載せられるのである。
どうせ中古だし
という気安さもあって、どんなに狭いところでも大胆に入って行くことができた。
これで大いに“運転度胸(というものがあるのなら)”がついた。
いちど、うしろから来た救急車を通そうとして左に寄り過ぎ、スーパーの“カゴ車”をこすった。

年が明けてkiriと一緒になり、相模原に住むようになってからは格段に腕が上がった。
なぜなら相模原は、横浜から見ればまるでロサンゼルスのような“お車天国”だったからである。
とにかく道が走りやすいし、どこへ行っても駐車場があるのだ。
だからどこへ行くにもつい、乗ってしまう。乗れば乗るだけ慣れるもの。
ちょっと本屋へ行くだけで渋滞に巻き込まれ、駐車場を探してウロウロしなければならないような横浜の中心部とは
ワケが違うのである。そのかわり、
「車がなければ生活できない」
ことも事実であったが…。
春ごろだったろうか。なんとな〜く、走っていると「ヒュルン、ヒュルン…」と音がするような気がしていた。
ある日、通っていた横浜の歯医者へ定期健診に行こうして保土ヶ谷バイパス目指して走っていると、
よくは覚えていないのだが突然、、
「ビュルルルルッ!」と前のほうで何かが巻きつくような大きな音がするか何かして、
驚いて家に引き返したのだった。
後日、kiriのプリメーラ・カミノがお世話になっていた日産のお店に持ち込んだら、ファンベルトが切れていることが判明。
夏ごろだったろうか。晴れた暑い日、春に行きそびれた横浜の歯医者へ行こうとしてR16を走っていた。
トンネルをくぐって高架で境川を渡って、もうすぐ横浜町田I.C入口だ!という、「クラスティーナ」とか「熱帯魚」の
看板のあるあたりで、突然前のほうで
「プシューーーーーッッッ!!」と、明らかに何かが抜けていく音がした。
驚いてVOLVO手前のわき道に入り、路駐してみると、
ボンネットの真ん中チョイ右あたりが、ボワッと霧でも吹いたように結露していた…。
他は煙も何も出ていないし、タイヤにも異常はなさそうである。
なんだったんだろう?と不安に思いながらもまた16号に戻り、そのまま保土ヶ谷バイパスに乗ったのだった。
ところが、暑い。
エアコンをいじったわけでもなく、さっきからずっとそのままなのに、なぜか暑い。ものすご〜く暑いぞ。
やっぱりどこか変だと思い、ハザードを焚いて路肩に停まり、日産のお店に電話をして下川井でバイパスを降り、
そのままお店に直行した。見てもらうと、
「エアコンのホースが切れてガスが漏れたんですねぇ…」
というわけでセルボはそのまま“入院”。30は営業のU山さんに家まで陸送していただいたのだった。
秋ごろだったろうか。片側1車線のなんでもない道を走っていて右側の路地へ入ろうと思い、
センターライン寄りでウインカーを出して対向車の通過待ちをしていた。
対向車が切れたので右折しようと右へハンドルを切り出したら、いきなり運転席のドアにドスン!という衝撃が来た。
なんと、一度通過したセドリックが何を思ったかバックしてきて、そのケツの右側が当たったのである。
警察を呼んで事情を聞くと、私が入ろうとした路地にセドリックも入りたかったそうなのだが、
うっかり通過してしまったのでバックして入りなおそうとしたというのだ。
そのときうしろにいたセルボを見落としたらしいのだが、いくら
「ちっちゃいから」
といって、それは失礼な話である。
いつもの日産のお店で見ていただいたところ、鍵のかからなくなったドアは全交換。
ところがドアは同じものが無く、日産の人に解体屋さんかどこかで探してきてもらって取り付けたのであった。
かかった費用は約16万円!!もちろんセドリック持ちである。

冬ごろだったろうか。家の近所で、路地から左折で出ようとしたらば、
左からすっ飛んできた自転車に左前輪あたりに突っ込まれた。
このときは幸い自転車のおじさんにケガはなく、自転車も壊れず、バンパーに少し緑色がついただけだった。
中古車価格30万だったセルボは、修理代がそれを追い越す勢いの“金食い虫”だったのである。
しかし、豆粒のように小さなセルボのガソリン代だけは格段に安く、家計には大いに貢献してくれた。
そんなセルボで、西は御前崎、西沢渓谷、東は首都高へも、果敢に走りに行った。

そして相模原に来て1年が過ぎた真冬のさなか、
オートマのクセにとうとう、
信号待ちでエンストするようになってしまった…。
セルボで出した最高速度は、午前6時ごろの保土ヶ谷バイパス下り方面で、5秒間ほどの、130q/hだった。

30にはどうしても乗りたい車があった。
ペーパー教習に通う前年、初めて買ってみた車の雑誌に載っていた、「HONDA Z」。
冬の寒さはさらに厳しくなる相模原の奥地に引っ越すことになり、雪道走行も心配だった。
初夏。引っ越しが午前中で終わった日の午後、私たちはZを見に出かけたのである。